Profile
[手わざ te-waza]
Craftsman’s handiwork
尾張七宝 OWARI Shippo (Cloisonné) 加藤七宝製作所 Kato-Shippo-Seisakusyo
加藤七宝製作所
加藤七宝製作所は、伝統的工芸品”尾張七宝”の窯元です。名古屋城のほど近く、まだ昔の風情が残る香呑町に工房を構え、昭和22年より七宝の製造販売をしており、平成29年には創業70周年という節目を迎えました。創業者である加藤亮三は、戦後の混迷期に紆余曲折を経て尾張七宝と出会い、その美しさに一瞬で引き込まれたと言います。特に「赤透け」と呼ばれる、まるでルビーのような深い赤色をした作品に強い感銘を受けたと言われます。
この出会いが始まりで、尾張七宝製造業を自身の生業としていくことを決断することとなります。
数年間、愛知県七宝町(現愛知県あま市)で尾張七宝製作の下積みをしたのち、現在の名古屋市西区に工房を構えました。業界では「透け屋」*1と言われる「赤透け」釉薬を使用した七宝を主に作る七宝焼製造業者へと発展していきました。
そして、3代目となった今もなお初代こだわりの「赤透け」を、また時代の求めに応じた幅広い尾張七宝の製品を世に送り出しています。
加藤 勝己
初代・亮三の長男として七宝町に生まれ、幼い頃から七宝に囲まれ育つ。若い頃に日本画を学び、以後、自身の七宝制作に生かす。
この道一筋、およそ半世紀のベテラン職人であり、当製作所の屋台骨を築いてきた二代目です。
1948年8月、加藤七宝製作所の初代・亮三の長男として愛知県海部郡七宝町(現、あま市)生まれ、幼い頃から七宝に囲まれ育つ。若い頃には日本画を学び、以後、自身の七宝制作に生かす。 2010年には尾張七宝業界初の伝統工芸士にも認定される。同年に加藤七宝製作所の代表を退く。 その後は尾張七宝の究極を目指し、自身のキャリア全てを懸け制作に没頭する日々を過ごしている。 | |
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1948年 | 愛知県海部郡七宝町に生まれる |
1967年 | 日展会友 片山宏先生に師事 |
1971年 | 日春展 入選 |
1973年 | タケガ・ギャラリーにて 個展を開く |
1973年 | 愛知県七宝新作展 銀賞・銅賞受賞 |
1978年 | 愛知県七宝新作展 銀賞受賞 |
1980年 | 日本伝統工芸展 入選 |
1984年 | 装飾デザイン(学研)第10号に掲載される |
1989年 | 東京都新宿「東長寺」の天井画を制作 |
1989年 | 松坂屋名古屋店にて 個展を開く |
1991年 | 丸栄スカイルにて 二人展を開く |
2000年 | N社迎賓ホール 七宝大柱を制作 |
2009年 | 平城京大極殿復元に伴い擬宝珠約70個制作 |
2010年 | 伝統工芸士に認定される |
2011年 | 第14回日本伝統工芸士会作品展 入賞 |
2012年 | 第46回日本七宝作家協会国際展 入賞 |
2015年 | 省胎七宝7作品を発表 |
2015年 | NHK BSプレミアム「美の壺」出演 |
2015年 | 第18回日本伝統工芸士会作品展 入賞 |
2018年 | 第21回日本伝統工芸士会作品展 入賞 |
加藤 芳朗
2005年、愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業後、25歳より家業である七宝の道へ入る。父・勝己に師事し伝統的技術を学ぶ。
現代の生活に相応しい新しい七宝の“カタチ”を日々模索中。
現在、加藤七宝製作所三代目代表取締役社長。
2018年、「伝統工芸士」認定。
2020年〜2021年度、名古屋芸術大学非常勤講師。
有限会社加藤七宝製作所
〒451-0015
愛知県名古屋市西区香呑町4丁目31
電話 052-531-1382